ニュートンナイトと南北戦争

ニュートン・ナイトとは──

1837年、ミシシッピ州ジョーンズ郡に生まれる。1858年にセリーナ・ターナーと結婚。自作農でトウモロコシやサツマイモを栽培していた。
1861年に南北戦争が始まり、奴隷を持たないニュートンに戦う理由はなかったが、反対すれば謀反者として処刑されるためやむなく入隊し、衛生兵として従軍する。やがて黒人20人法(20人以上の奴隷を所有する裕福な家庭の息子は兵役を免除されるという法律)への反発などから軍を脱走する。
帰郷して隣人から無理やり徴税しようとする南軍に歯向かい、脱走兵を取り締まる将校の目にとまってしまう。ミシシッピ州の奥地にある湿原に逃げ込み、そこで逃亡奴隷たちと出会う。隠れている間、彼らに食料を調達していたレイチェルという若い黒人女性と親しくなる。
扇動罪と反逆罪で正式に起訴され、逃亡奴隷たちと南軍から脱走した白人兵士たちで自由軍を結成し、リーダーとなる。やがて地元民や資産を奪われた近隣の郡の白人たちも続々と加わり、一時は500人を超える。
1864年、南部からの独立を宣言し、自分たちのコミュニティーを”ジョーンズ自由州”と呼んだ。やがて努力が実り、悪質な徴税制度は廃止される。自由軍は南軍の物資を押収して分配し、役人たちを追放する。
南北戦争は終結するが、アフリカ系アメリカ人に提示された土地に関する公約は実現されず、新たな形の人種差別が広まっていく。のちにクー・クラックス・クラン(KKK)として知られる、白人至上主義者たちによる暴力的なテロリスト集団が台頭し、元奴隷と彼らに味方する人々に報復するようになる。
レイチェルと内縁の夫婦となり、積極的に政治に介入し、黒人に対する新たな差別的法律に強く反対し、自由民のための学校を設立。さらに、元奴隷の自由民に投票権を与える活動で、リーダー的役割を果たす。
1922年、85歳で死去。

(※参考資料:MISSISSIPPI History Now)

[ジョーンズ自由州4原則]1.貧富の差を認めない。2.何人も他の者に命令してはならない。3.自分が作ったものを他者に搾取されることがあってはならない。4.誰しも同じ人間である。なぜなら皆2本足で歩いているから。

南北戦争とその前後

奴隷制度に対する是非と、貿易制度を巡る見解の違いから、アメリカの北部と南部が対立、南部11州が合衆国を脱退し、南部連合を結成する。1861年4月、離脱を認めない合衆国に南軍が砲撃し、内戦が始まる。最初は南軍が優勢だったが、ゲティスバーグでの大勝で北軍が有利となる。1865年4月、60万人の犠牲者を出した末に北軍の勝利で終結。

1861年

1月9日 前年12月に脱退したサウスカロライナ州に続き、ミシシッピ州が連邦を脱退。以降次々と南部奴隷州が連邦から離脱していく。
3月4日 リンカーン、第16代大統領に就任。演説で連邦脱退は無効だと述べる。
4月12日 南部連合軍がサムター要塞を砲撃、南北戦争が始まる。

1862年

3月13日 連邦議会、逃亡奴隷を南部に返却するのを禁止する法を可決。

1863年

1月1日 リンカーン大統領、奴隷解放宣言を発布。
7月1日 南北戦争最大の激戦ゲティスバーグの戦いに北軍勝利。
11月19日 リンカーン大統領、有名なゲティスバーグ演説を行う。

1864年

11月8日 大統領選挙、リンカーン再選。

1865年

4月9日 南軍のリー将軍、北軍に降伏。南北戦争終結。
4月14日 リンカーン大統領、フォード劇場で狙撃され、翌朝死亡。
4月15日 副大統領アンドリュー・ジョンソン、第17代大統領就任。
12月18日 奴隷制廃止を定めた憲法修正第13条発行。
12月24日 KKKがテネシー州南部で結成される。

1875年

3月1日 種、肌の色、宗教などに関係なく、すべての市民の権利を保護する公民権法成立。

1876年

11月7日 大統領選挙。開票結果が混乱し、共和党と民主党が話し合いを続けた結果、様々な取引の末に共和党のラザフォード・B・ヘイズが当選。再び黒人への差別が横行する。